「お母さん!、なんかこの人今までの人たちと違うよ!」
コレは、以前の生徒さんが初めての授業で、私のことを好評してお母さんに話してくれた時の言葉です。
編集していたら、そういえば以前も同じような事を言われた事が脳裏に蘇ってきました。
それは、私がアメリカでナースをしていた時のことです。訪問先の患者さんのところに伺うと・・。
車椅子生活のお母さんと、そのお母さんを一人でお世話していた中高年の男性の方がいました。本来は、お母さんの問診やチェックアップをして、問題がなければそこで私の任務は終了します。
実際、私の他に往診に行っていたドクターやナース達は、ものの5分もすればサッと消えるのが通常です。ですが、私はこの男性の方がイッパイイッパイの状態を察知し、その後も電話で自主的に何度かフォローアップしました。
自分も、祖父母の自宅介護を20代から見て手伝っていたので、介護家族のとんでもない苦労は身をもって知っています。それは、空気で判ります。体験している方ならどういうことか、状況はだいたいお判りでしょう。
結局、この家族男性には、社会保険に連絡して受給できる保険サービスを拡大してもらえる余地はないか調べてもらう事、一人で介護を負ってはいけないことを話しました。
実際に受けられるサービスはあまり変わらなかったようですが、一人苦労を背負い込んでいた男性と何度か話すと、言葉ではそうはハッキリ言わないものの、電話の会話からも、もう自◯の一歩手前まで追い込まれていると、私には手に取るように判りました。
饒舌ではない男性がポツリポツリと話してくれることを聞き出すため1時間も電話していたことも有りました。(そういったサービスは自分のノルマ内ではないので、電話代もそのサービス時間も自分持ちです。)
ですが、何度か話すと、男性の声がサッと雲が晴れたかのように明るくなり、
「判ったよ!やってみる。」と言ってくれ、その次に聞いたのがその言葉です。
“You are different from other people. You are one in thousands.” 君は他の人達とは違うね、何千人に一人しか君のような人はいないんじゃないか。
他のドクターもナースも、自分の責任以外は余計なことをしようとしません。無論、(時給ではないので)自分の時間が消費されたり、電話代を自分持ちで、患者さんと話したりサービスを調べたり、なんて事をする訳もないのです。(日本と違って、アメリカはこういうところが非常にドライで、自分の責任を問われることが無い限り、余計な手出しをしないのです。もっと言えば、助けようという気すらないのです。)
こんな中で、「自分がちょっと動けばこの人をもっと助けられるかもしれない。」
そんな状況を見たら、自分には見て見ぬふりをすることは出来ません。
これ、たぶん学校の先生にも似たようなことが言えるのではないでしょうか?
きっと制度や上下関係でがんじがらめにされて、自分の理想の教える姿が以前はあったはずの先生が、やがて組織の中で、やる気なく押し込められていく・・・。そういう姿は、現代社会で、特に日本社会では簡単に想像できます。
私の強みは、そういうしがらみがないことです。
長いものに巻かれる=組織に属したい、とも思っていません。
だから、たぶん学校じゃ教えられない事を、ヘーキで教えます。
親御さんがそういうのを嫌わない限り、社会は表向きこうなっているが裏はこうである、とかいうことも、受け入れられる子には教えちゃうのです。
学校でこう教えているからこう、とは私は教えません。
「学校ではこう教えているけど、これは嘘だね。」とか
「コッチのほうが解きやすいんだけどね。どっちも知っておきなさい。」なんて風に教えています。
知識は力です。
知っているに越した事はないのです。
そして、それを上手に使える生徒がいる限り、楽しく使えた方が良いのです。
楽に生きられる方法を知っていた方がいいのです。
ご紹介したお声からすると、私は大多数の人とはかなり違っているようです。
だったら何なんでしょう。
目の前の人を助けられると思う事なら、自分にできる限りの事は実行します。